N°11 ”フツウ”がガラガラ崩れていく

クリスマスにもらったスクラッチマップを壁に貼ってみた。白をベースの部屋、インテリア雑貨はモノクロかゴールドにしているのだが、私の好みをバッチリ知っている相方妹フィーアからのプレゼントだった。

日本の友人に言われて初めて気づいたが、これはスウェーデン用の世界地図である。そういえば社会で習った世界地図は日本が真ん中にあり、左がヨーロッパ、右がアメリカ、がベースであった。

スウェーデンに初めてきたときは、イケアで世界地図を見ておぉーっと思ったものだが、職場が学校ということもあるため世界地図を時々見かけることもあり、いつからかこの形が私の中での世界地図になっている。

世界地図だけじゃなく、日本にいた頃に感じていた”フツウ”が海外に移住しているうちに無意識にシフトしていくことは、いくつもある気がする。成長したと感じることは、フツウや常識、がどんどんなくなっていくこと。

肉や魚を食べない人がいる、女性を愛する女性がいる、ヨーロッパの顔だけどアジア人の子供を何人ももつ夫婦がいる、髪をフードで隠す子供が大勢いる、毎日決まった時間に祈る同僚がいる、何十人も他国に子供がいる人がいる、銃撃戦の横で酒を飲んでいたと話す人がいる、白い肌が嫌で太陽を浴び日焼けを羨ましがる女の子達がいる、仕事よりもバカンスを優先する大人が大量にいる。。。

スウェーデンに移住したばかりの頃に、へぇ〜。と驚いたことは、数知れず。

これまでこれが常識だ!と言っていたことはどーでもよくなる。フツウという概念がガラガラと崩れ落ち、あーこの人にとってはこれがフツウなんだ、へぇ〜。と周りの人の細かい部分がどーでもよくなってしまった。ひとりひとりのモノサシは違うって、こういうことね。と実感する。

しかし、それを日本の昔の知人に”変わった”と言われると、違和感がある。海外に引っ越したからといって突然変異したわけではない。6年という時をかけて、毎日生活をし、人と語り合い、失敗やカルチャーショックを繰り返し、現在進行系で、自分の新しいフツウが壊れながら、作り上げられている、感じである。時代とともに、変幻自在であるべきだと思う。

といえど、日本人としての常識のようなものが薄れていかないのは、母とのスカイプによりそれが養われているためである。日本では〜、、と言われてもここスウェーデンだしね、、と反骨しながらもまた、貴重な時間であると思い、マシンガントークで話しながら、違いを楽しむ親子なのである。







SAYURI

STOCKHOLM / SWEDEN Composer / Sound Artist / Mother ストックホルム在住。作曲家、アーティスト、一児の母。音楽、子育て、北欧暮らし、旅、など。

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