Sayuri

STOCKHOLM / SWEDEN Composer, Artist, Performance Art direction. ストックホルム在住。ノーベル博物館主催ノーベル医学生理学賞音楽、Dec 2016 - Feb 2017 展示中 www.sayurihayashi.com

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N°11 ”フツウ”がガラガラ崩れていく

クリスマスにもらったスクラッチマップを壁に貼ってみた。白をベースの部屋、インテリア雑貨はモノクロかゴールドにしているのだが、私の好みをバッチリ知っている相方妹フィーアからのプレゼントだった。日本の友人に言われて初めて気づいたが、これはスウェーデン用の世界地図である。そういえば社会で習った世界地図は日本が真ん中にあり、左がヨーロッパ、右がアメリカ、がベースであった。スウェーデンに初めてきたときは、イケアで世界地図を見ておぉーっと思ったものだが、職場が学校ということもあるため世界地図を時々見かけることもあり、いつからかこの形が私の中での世界地図になっている。世界地図だけじゃなく、日本にいた頃に感じていた”フツウ”が海外に移住しているうちに無意識にシフトしていくことは、いくつもある気がする。成長したと感じることは、フツウや常識、がどんどんなくなっていくこと。肉や魚を食べない人がいる、女性を愛する女性がいる、ヨーロッパの顔だけどアジア人の子供を何人ももつ夫婦がいる、髪をフードで隠す子供が大勢いる、毎日決まった時間に祈る同僚がいる、何十人も他国に子供がいる人がいる、銃撃戦の横で酒を飲んでいたと話す人がいる、白い肌が嫌で太陽を浴び日焼けを羨ましがる女の子達がいる、仕事よりもバカンスを優先する大人が大量にいる。。。スウェーデンに移住したばかりの頃に、へぇ〜。と驚いたことは、数知れず。これまでこれが常識だ!と言っていたことはどーでもよくなる。フツウという概念がガラガラと崩れ落ち、あーこの人にとってはこれがフツウなんだ、へぇ〜。と周りの人の細かい部分がどーでもよくなってしまった。ひとりひとりのモノサシは違うって、こういうことね。と実感する。しかし、それを日本の昔の知人に”変わった”と言われると、違和感がある。海外に引っ越したからといって突然変異したわけではない。6年という時をかけて、毎日生活をし、人と語り合い、失敗やカルチャーショックを繰り返し、現在進行系で、自分の新しいフツウが壊れながら、作り上げられている、感じである。時代とともに、変幻自在であるべきだと思う。といえど、日本人としての常識のようなものが薄れていかないのは、母とのスカイプによりそれが養われているためである。日本では〜、、と言われてもここスウェーデンだしね、、と反骨しながらもまた、貴重な時間であると思い、マシンガントークで話しながら、違いを楽しむ親子なのである。

N°10 ハローキティは猫ではない

この日は仕事終わりに、スルッセンのカフェでハンネスとビョーンとミーティング。来月2月にストックホルムより北部のダーラナ地方というところで開催される、ジャパンフェスティバルで演奏することになったので、その打ち合わせである。昨年までは映画祭という名で邦画の上映が中心にあったが、今年は食べ物や着物、コスプレやDJ等、伝統からサブカルチャーまでダーラナの街のところどころで、日本をテーマにしたイベントが行われるらしい。ダーラナには毎年スキーをするため3回訪れたことがあるが、仕事では初めて。スウェーデン人が学ぶ日本語学科の大学のレベルが高いと評判で、日本人コミュニティも多いらしく、とても楽しみ。話は大幅に変わるが、ミーティングの時になぜか、"ハローキティ" の話になった。キティちゃんの身長はりんご5つ分、というプロフィールは私もどこかで聞いたことがあったが、体重はりんご3つ分らしい。さほど興味のないハンネスは、笑いながらへぇ〜、という会話から始まったが、日本語を勉強中で日本に関する知識が私よりも多いビョーンが、ハローキティは猫ではないと主張しだした。ビョーンによると、「Hello Kitty is not a cat.」(ハローキティは猫ではない)の衝撃的な見出しが LAタイムズに掲載されたのは2年前、なんとサンリオにより発表されたものらしい。「彼女は小さな女の子だ。4本足で歩く姿は描かれたことはない。」と。「ロンドン郊外に住む双子の女の子である」と。キティちゃん自身、パパからプレゼントされたペルシャ猫を飼っているとか。このニュース、世界中で結構な記事になったらしいが、知らなかった日本人の私。ちなみに海外での騒動はさらに広がり、スヌーピーが「僕はイヌです」と公式ツイッターでつぶやいたらしい。へぇ〜、としか答えようのないどーでもよい話ではあるけれど、音楽や仕事の話、トランプ大統領誕生、スヌーピーから風刺画の話題まで、毎回会話が膨らみ、長時間フィーカをしながら楽しめる友人がいる環境は、本当に恵まれている。ちなみに、キティちゃんのボーイフレンドであるダニエルは、パパ(カメラマン)の仕事の関係で南アフリカのプレトリアに引っ越してしまっていたらしい。遠距離恋愛中で、将来はピアニストになると発表しているキティちゃん。幼い頃には知らなかったことが、大人になった今、自分の人生と重ね合わせることも可能であり、愛着が湧く。サンリオのキャラクター愛を垣間見て、ほっこりした日であった。

N°6 ガムラスタンのホテルの思い出

ガムラスタン。ストックホルム中心部にある旧市街。中央駅からも徒歩10分の観光地である。春はバルボリ祭や夏を先取りするスウェーデン人達、夏は観光客で路地が人でいっぱいになり、冬はノーベル賞やクリスマスマーケットで賑わい、そして今は、、、完全オフシーズン。どこか寂しげな表情ではあるが、ガムラスタンは雪景色が最も似合うのではないかと思っている。まだ私が音楽留学でスウェーデン南部に住んでいた頃、母がスウェーデンにひとりでやってきた。もちのろんで、父と兄は仕事である。ヨーロッパ初の母にヨーロッパらしい気分を味わってもらおう!と、私はガムラスタンのホテルを予約した。ひとつめのホテルはヨーロッパ各地にあるチェーンで、外見は歴史が溢れているのに中は北欧モダン、部屋はツインベッドで広く、レンガの壁やスタイリッシュなデザインのテーブル、大きなテレビ、シャワールームも広かった。そのホテルは翌日から満室で連泊できなかったため、2泊目以降、母はガムラスタンが見渡せて地下鉄駅から徒歩1分、前日より高額なホテルを予約していた。外見は前回同様、建物は古いが壁がピンクでドアからもヨーロッパの雰囲気が溢れ、チェックインの受付も美しく、わくわくしていた。しかし部屋に案内されると、、狭い部屋には、殺風景なシングルベッド一台と天井から吊り下げられた昔の立体上テレビ。窓にはカーテンがついていない。そしてトイレ、シャワーは一体どこに。。。?廊下に出てみると、シャワーとトイレは共同です、という表記。ここ、バックパッカーホステルじゃないよな、、ホステルの値段の10倍くらい払ってるんですけど。。。受付の人に聞いたが確かにここである。この日以降は、空室がないのと高額だったこともあり、私はストックホルムに住む友人宅に泊まることになっており、母をひとり残していくのも心配だがもう夜も遅かったので、母には頑張って1泊してもらうことにした。翌日ホテルに迎えに行くと、母は語りだした。ひとりでドキドキしながら夜シャワールームの前で待ってたの、何回行っても誰かが使っているから待っていようと思って。そしたら、ソーリー!といいながら可愛い女の子がタオル一枚巻いた姿で出てきて、そのまま廊下を歩いていった!朝食はたぶんスウェーデン語で、どーのこーの!、、と、なんてことないようなエピソード。ワンルームで個人シャワーは付いていたものの、スウェーデン人達20名と学校寮の一軒家をシェアしていた私にとっては、タオルで美人がうろうろ事件は日常茶飯事の出来事であったが、そういう経験も母にとっては驚きだよなぁと思ったのを覚えている。同時に、母も、ひとりで海外で暮らすとこうやって強くなっていくんやね、と私の日々の闘いを垣間見れて嬉しそうにしてくれたことを覚えている。その後、私は受付に行き翌日からの宿泊を全てキャンセルにしてもらったが、キャンセル料はほとんど戻ってこなかった。受付のおじさんに事前予約と違う状況だったことや、もっといい部屋はもしかしてあるのか?等、聞きたいことはあったが、当時の私は語学だけでなく、不満を言うエネルギーや精神を持ち合わせていなかった。(今は旅行先のホテルに関しては、不満があればまず必ず聞く。)しかし、未だに母と北欧旅の思い出話をするときは、私が忙しかったため母にひとりで朝食を買いに行ってもらったこと、フィンランドのホテルが探せず人に聞きまくったこと、電車内トイレのロックのかけ方が分からずおばちゃんに開けられてしまったこと、油ギトギトのポテトだけが出てきたレストランのこと、等である。今もまだ、外国人として母国語でない国で生活や仕事をする中で、戸惑いや失敗や苛立ちがある。しかし、これら全てが何年か後に思い出となり笑い話となり、そして日々の自分を成長させてくれているのだと信じることで、明日もまたマイナス5度のストックホルムで仕事を頑張ろうと思えるのである。